独り言

七回忌

院長のひとりごと223

今年2月に母の7回忌の法要を金沢で行いました。
もうそんなに時間がたったのだなあとしみじみ実感しています。
母は大変明るく快活な性格でした。
誰に対しても思ったことをストレートに言う人でした。
それなのに不思議と嫌われてはいませんでした。
私は何か尋ねるのがとても怖い、すごく気難しいお菓子屋さんでも母は大変気に入られていました。
これも人徳というのでしょうか。
とにかく嘘はつけない人で、何かをごまかすことも出来なくて子供の頃から母が口ごもる様子で、すぐに見抜けました。
私は大変なマザコンでどれくらいかというと、高校時代に友人や教師の前で「自分の理想の女性は母親だ。」と誇らしげに語る位のマザコンでした。
父が亡くなり、母は金沢の古くて大きな家に一人で暮らしていました。
母が脳出血で倒れた夜、弟と二人でその家に泊まりましたが、隙間風がどこかから吹き込んできて決して快適とは思えませんでした。
この家を父の死後、一人でずっと守ってきたのだと思うと、改めて母のすごさを実感しました。
大変几帳面な性格で、とにかく部屋もきれいに片付いていたし、一人で大好きな時代劇をテレビで観ていたようですが、毎回の感想を事細かくノートに書き記していました。
家計簿も綿密に記録してあったので、母の死後も諸方面との付き合いももれなく行えました。
元気な時「毎朝仏壇に向かい、お父さんに向かってお変わりありませんかと話しかけている。」と私に打ち明けてくれました。
「お父さんとあそこへ行った。ここへ行った。色々と連れて行ってもらった。」と父との思い出を楽しそうに話していました。
父との生活が大変幸せだったのだと、子供としてはとてもうれしい思いで母の話を聞いていたのを覚えています。
今は私の家で二人のお位牌に当たる掛け軸を仏壇に掛けて毎日お参りしています。
そして時々「変わりないですか。こちらも夫婦2人なんとか暮らしています。」と心の中でつぶやいています。法事の日は2月の金沢らしい雨の寒い日でしたが、静かな時間を過ごすことが出来ました。