独り言

国葬儀

国葬儀

院長のひとりごと220

安倍元首相が凶弾に倒れるというショッキングな事件が起こりました。
日本の歴代首相の中で、最も長く首相を務めた安倍元総理の業績・功罪は、議論のあるところかもしれませんが、その死を悼む気持ちは日本人なら共通するものだと私は思っていました。
しかし、国葬儀を巡る騒動には驚きました。
国葬儀の決定方法に問題があったのは事実でしょうが、安倍氏の死を悼むという趣旨には日本国民全員が賛同するものと信じていました。
それなのに国葬儀への招待を辞退することを、マスコミを通じて声高に公言する政治家や、国葬儀当日参加者に帰れと叫ぶデモ参加者には我が目を疑う思いでした。
亡き人を弔うという厳粛な行為に対して、なぜこのような行動がとれるのか信じられません。
「税金を使うことがけしからん」という人たちがデモをしていました。
仮に国葬儀の費用が100億円として、日本の納税者が5000万人だとしたら納税者一人当たりの税負担は200円です。
かれらのデモへのモチベーションはお金に換算すると200円です。
かつて、コミュニティの中で許しがたい行為をしたものを疎外する「村八分」という風習がありました。
組織に対する許しがたい行動を取ったものに対しても「二分」は組織としてサポートすることが残されていました。
その一つが葬儀です。
凶弾に倒れた安倍元総理の死が報じられた直後の、その死を悼んだ共産党志位委員長のコメントは心打つものでした。
人の死を悼む厳粛な気持ちを私はもっと大切にしたいと心から思います。
それ故今回の自身の主張を訴えるために行ったこの凶行の犯人を許しがたく思いますし、その死を悼むことを忘れたかのような自己アピールに走る政治家や無神経なデモ隊には嫌悪感しか感じません。
国葬儀の日に延々と続く献花の列に何時間も並んだ日本人の姿にこそ、私は日本人というか人としての本来のあるべき姿を実感しました。
そしてこの列に並んだ人の中に、まだ選挙権もない人を含めた多くの若者がいたことを心強く感じました。