「憤懣やるかたない」
院長のひとりごと119
人の気持ちを理解するのはむずかしい、ということは理解しているつもりです。
そして、自分が決して人の気持ちを十分に理解できていない、ということも自覚しているつもりでした。
しかし、自分の気持ちを無神経に扱われることの不愉快さは、経験しないと理解できないことを知りました。
最近、自分の大切にしている思いを文章にしましたが、その文章を私の思いなど微塵も理解することのない人に、無神経にいじられることを経験しました。
元々その文章は、公表するつもりの無いもので、個人的に私の思いを伝えたい方への手紙に添えたものでした。
ただ、受け取られた方が、私に公表するように勧めて下さいました。
私は固辞したのですが、さらに、私の尊敬する先輩が間に入って勧めて下さるので、関係のない先輩にご迷惑をおかけした心苦しさから了解しました。
公表するに際して、編集責任者となっている方から書式の説明を受けていたので、それに従って原稿を渡しました。
字数制限があり、それを超えるような場合は編集担当者の一存で削除する旨記載があったので、削除されることのないようルールを守りました。
しかしながら、編集者からここは個人的な見解だからとか、ここは趣旨と違うからとか、編集者の個人的な意見で、一方的に削除する旨連絡を受けました。
もとより個人的な手紙に添えた文章であり、送り先の方に読んでいただいた時点でもうその役目を終えた文章ですから、どのように扱われようと構わないと思っていました。
しかし、ルールの範囲内であるにもかかわらず、書き手の思いを忖度することなく、無神経に編集することは、尊大としか思えない行為ではないでしょうか。
そんな気持ちのモヤモヤはありますが、これ以上もめるようなことは尊敬する先輩や、手紙を差し上げた方に迷惑をおかけすることになるので、自分の中に納めるしかありません。
こういう心境を、「憤懣やるかたない」というのでしょう。
好き嫌いで人生を決められることが、医者になった一番のメリットだとうそぶいてましたが、そんなことの出来る職業はないことを知りました。
2014年12月20日