独り言

能登半島地震

院長のひとりごと233

令和6年の元旦に大変な地震が能登半島で起きました。
石川県は私の出身県です。
私の故郷の金沢でもずいぶん揺れたと安否を尋ねた叔母から聞きました。
輪島の大火の映像には心が押しつぶされそうになりました。
輪島には時々食べに行くイタリアンとフレンチのレストランがあって、どちらもあの大火のあった場所にありました。
幸い両方のレストランの方達は無事でした。
フレンチレストランのシェフは早々に炊き出しを初めておられる様子が放送されていました。
被害からの復興は被害を受けた方達の力で成し遂げられていくのだなとつくづく思いました。
東北の震災もしかりでした。
特に今回の地震で長期にわたる断水に耐えておられる姿がとても見ていてつらかったです。
2011年の秋に山津波のために新宮市の浄水場が被害を受けたおり、私も断水を経験しました。
その時は1週間足らずで復旧しましたが私は断水下での生活は2日で耐えられなくなり、水の使えるホテルに非難しました。
能登半島の方々は何ヶ月も断水に耐えておられ、そのつらさは経験したものにしか分からないと思います。
私は微々たる寄付をした以外は何もしておらず申し訳ない気持ちです。
今考えているのは輪島のレストランが再開された折にはすぐに駆けつけようということだけです。
和倉温泉も大変な被害を受けました。
たまたま私の親しい友人が和倉温泉の老舗旅館の経営に関わっているので様子を聞きましたが、再開にはとにかく時間がかかるということでした。
被害に遭われた方達の生活のサポートは勿論第一に考えるべきですが、行政にしか出来ないインフラの復旧に全力を注いで頂きたいと切に願っています。
輪島のあたりは鉄道は無く、道路と空港が頼りです。
海の地形が変わってしまい、海路は利用が困難になりました。
東北の未曾有の震災を経験して行政も色々と学んだことでしょうから、能登半島の復旧に是非そのノウハウを生かして頂けたらと切に祈っています。
故郷を離れて50年近く経ちますが、毎日ただただ切ない気持ちで復興を祈っています。



※「能登半島地震に係る災害義援金の受付について」はコチラをご覧ください。
  令和7年(2025年)12月26日(金曜日)まで、義援金を受け付けます。