独り言

国立大学のコスト意識。

コスト意識

国立大学のコスト意識。

国立大学病院は、私が辞める数年前から様々な改革を断行するようになりました。
収益性をチェックするために、民間の経営コンサルタントに数千万円をかけて経営分析してもらいました。

開口一番「こんな赤字の病院で堂々とボーナスをもらっていることはおかしい。」と一喝されたことを鮮明に覚えています。
彼らの意見には多々異論はありますが、コスト意識は持てました。

もう一つ大学に欠けていたのが責任の認識です。
ある教授の提案で総合診療科が設立されました。
しかし、設立趣旨、具体的な運営等々に関し、現場の医師に何も諮らずスタートしたため、散々な結果に終わり早々に閉鎖されました。
にもかかわらず、この無意味な初めから失敗することが分かっていた企画の責任者には何のペナルティも無かったのです。

民間企業では考えられないことですが、コスト意識同様責任という認識もないのが国立大学病院でした。
また、チュートリアルという新たな教育システムを導入しました。
実際に携わってみて、学生の反応が極めて鈍く、学習効果は期待できないと感じました。

このシステムの効果は、数年後の医師国家試験で明らかになるでしょうが、結果がどうであれ、導入を推進した教授には何の責任も問われないでしょう。
新たな企画をスタートさせてもその結果に関する十分な分析、責任の所在等を曖昧にしている限り、大学の運営の改善は見込めないと思います。

この病院でがんばっているある人は、自分の企画を提言して実現させ結果として、病院の収益の増加につなげているそうです。
この人は緻密な計画と確かな実行力を持っています。
机上の空論というか提案はするが、実行は現場任せの教授の企画がことごとく失敗していたのと対照的です。

この人の企画が成功したのは自分が実行することを前提に計画したことにつきると思います。

でもこの人より、自分に実行能力がないのに美味しいところ取りばかりする教授の方が、大学病院での地位ははるかに上なのです。