たくさんの人との出会い
院長のひとりごと96
私には遙か昔のこととなりましたが、世間では今入試シーズンです。
生意気だった高校時代に、慢心のかたまりだった私は見事に入試に失敗しました。
生まれて初めての挫折でした。
かなりショックでしたが、気を取り直して東京の有名予備校の試験を受け、3番で合格して1年間通いました。
お気楽な性格なのでしょう、「あこがれの東京で1年暮らせる。」
と結構うきうきした気分だったような気がします。
ただ、何年も浪人生活は送りたくないという気持ちは強くて、「これ以上できないくらい1年受験勉強をして、来年落ちたら大学行くのを諦めよう。」
と心に誓ったことを覚えています。
幸い大学に合格して、今医師としてのキャリアを重ねています。
しかし、私はそれほどまでの思いで医師を目指していたか、といえば疑問です。
父から「将来食いっぱぐれのない職業に就きたいなら、医者か弁護士だ。」と言われたことや、当時最難関の学部が医学部だったことが、私を医学部志望にしたのだと思います。
京大を受験したのも、東大に合格する自信がなかったのと、京都という町への漠然としたあこがれと、東京の喧噪に辟易としていたからだと思います。
どうも私は人生の岐路で、随分適当な理由で一方の道を選んできているようです。
幸運だったのは、選んだ先々ですばらしい人たちとの出会いがあったことです。
特に京大神経内科での大学院時代と、島根医科大学第一内科時代の、人との出会いは印象的でした。
今は新宮で毎日の診療に追われていますが、ここでのスタッフや患者さんや、行きつけのお店の人との出会いにも満足しています。
選び方がどうであれ、結果が良ければいいということでしょうか。
善し悪しは、ひとえに人との出会いにかかっているのかもしれません。
私は、もし浪人生活の後、大学受験に失敗したら大学進学をやめて、農業を目指そうと思っていました。
もし受験に失敗していたら、今頃は毎日天候を気にしつつ、TPPに関してあれこれと思い悩んでいたかもしれません。
そんな生活も、気の合う仲間が周囲にいればきっと楽しかった気がします。
2013年2月20日