金沢弁
院長のひとりごと84
最近しばしば故郷の金沢に帰ることがあり、金沢弁に接する機会が増えました。
高校を卒業して初めて金沢を離れた時は、なるべく金沢弁を隠そうと懸命に標準語を話す努力をした覚えがあります。
京都の大学に入ったときは、金沢弁で通そうと思ったのですが、「○○だね。」にあたる金沢弁の「○○やじ。」という言葉の、語尾の「じ」を笑われてから、やっぱり金沢弁を隠すようになりました。
それでも帰省したときはいっぺんに金沢弁に戻ったものですが、故郷を離れて暮らす年月の方が長くなった今は、意識しても金沢弁がぎこちなくなってしまいました。
古い友人も私の言葉が関西なまりだと言います。
でも、関西人の家内には全然関西弁ではないと言われます。
さらに、時折標準語もどきの話し方をすると、気取っていると冷ややかな目で見られます。
あちこちで生活したために、私の日本語は実にけったいな言葉になったようです。
少し前のテレビドラマで、戸田恵子さんが金沢弁を話していました。
あまり上手なのでびっくりしました。
今の私よりはるかに自然でした。
母と父の金沢弁も全く違っていました。
父は上品な言葉でしたが、母の言葉はがらっぱちでした。
私の言葉は、近所の仲間の影響か、もっと柄の悪いきたない言葉でセレブの多く通っていた小・中学校では、異彩を放っていた気がします。
私自身も使ったことのない金沢弁が沢山あるように、今の若い人は私たちが使っていた金沢弁を使っていないのではないかと思います。
私自身もふと思い出して「ああ、そんな金沢弁があったなあ。」と一人懐かしむときがあります。
私が使っていた金沢弁に「いじっかしい」という言葉がありました。
今も心の中で時々つぶやいています。
方言には独特のニュアンスがあり、標準語でそのニュアンスを伝えることはなかなか難しい気がします。
「いじっかしい」のニュアンスを例えるなら、「いじっかしい」という言葉を100万個集めて、ぎゅっと固めて人の形にするとカミさんになると言えば、世の亭主たちには伝わるのではないでしょうか。
2012年3月19日