「母おくる東風吹く夜も腹はへる」
院長のひとりごと150
母が亡くなりました。
6年前に、くも膜下出血と脳内出血を発症し、以来寝たきりで言葉を交わすことも出来ない状態でした。
10年以上前に大腸癌の手術を受けており、昨年には子宮癌が見つかっています。
そんな大きな病気を何度も経験し、最後は誤嚥性肺炎と心不全で亡くなりました。
母は生ききったと思っています。
10数年前に父を亡くしたとき、人は皆こんな思いを人生で2度も味わわなければいけないのかと思いましたが、父の時とは違った感覚で受け止めていました。
父の時も私は喪主でしたが、母もおり周囲には支えてくれる人が沢山いました。
しかし、今回はあれこれと面倒をみて下さった従兄はいましたが、何をどうしたらいいか分からず、右往左往している間に葬儀が終わった感じでした。
父の時と異なり、ごくごく内輪の家族葬でしたが、それでも何かと準備がありました。
私も弟も実家を離れて暮らしているので、実家のある金沢での勝手がかつてとは違っていて困惑しました。
母には後見人がいたので、亡くなった後もこの後見人の方に色々とご面倒をおかけして、どうにか葬儀の後の事務処理も段取りできました。
金沢は葬儀の日に初七日を済ませますが、四九日の法要、百箇日に行う永代供養、初盆、一周忌、三周忌と、これから二年くらいは何かとすることがあります。
仏壇も実家にはありますが、主のない実家ではなく、今住んでいる所に用意すべく準備中です。
仮通夜、通夜、葬儀と一通り無事済ませた夜、家内と弟と三人で金沢で夕食をとりました。
弟は酒が強く、私は強くないけれど好きです。
でも葬儀が終わるまでは、諸々の用事で車に乗る必要があったこともありますが、なんだか飲む気にもなりませんでした。
葬儀の済んだ夜三日ぶりくらいでワインを飲みました。
お店は燻製を看板にしているレストランです。
通夜の後とっくに精進落としは済んでました。
久しぶりの酒は驚くほどまわりました。
「母おくる東風吹く夜も腹はへる」
2017年6月20日