我慢のあとの満足感!
院長のひとりごと81
少し前のドラマで、もう消そうと思っていた「犬を飼うということ」というドラマにはまってしまいました。
若く貧しい家族の話なのですが、貧しくてもとても楽しそうに暮らしている姿が感動的です。
私は客観的に見て、何不自由なく生まれ育った、大変恵まれた人間だと思います。
でもそう思えるのは振り返ってみてのことで、子供の頃は色々と不満を感じていた気がします。
幼稚園、小学校時代は周囲に裕福な子が多かったので、何かにつけてうらやましがってたのを覚えています。
私の両親は、クリスマスや誕生日の様な時しか、欲しいものを買ってくれなかったので、その数少ない機会に何を買ってもらうか、あれこれ考えていたことを覚えています。
多分、いつでも買ってくれる余裕はあったのだと思うのですが、今から思うと、たまにしか買ってくれなかったことに感謝しています。
というのも、たまにしか買ってもらえないので、沢山ある欲しいものから何にするかを真剣に悩みそして、ついに買ってもらうまでの期間、ずっとわくわくしていました。
そのわくわく感や、ついに手にしたときの満足感は、それまでお預けになっていたからこそ味わえたのではないでしょうか。
このドラマの中でも、貧しい家族がささやかなものにとても喜ぶ姿が印象的です。
心の豊かさを感じます。
何でもすぐに手に入ることは便利ですが、人が幸せを感じるのは大きな満足感を得られたときだと思います。
満足感は手にはいるまでの過程で、大きさが変わると思います。
辛抱して辛抱して手に入れる、我慢して我慢して手に入れる、そんな過程であればあるほど、満足感は大きくなると思います。
それは同時に幸福感も大きくなることだと思います。
「もったいない」と感じて辛抱する、節約する、大切にする、そういう心が人をより幸せにしてくれると思います。
「もったいない」という言葉があふれていた、私の昭和の少年時代は何でも簡単に手に入る平成の今より、何事につけ満足感が大きかった気がします。
「幸せはお金では買えない」というのは、貧乏人のひがみではないと思います。
2011年12月20日