院長のひとりごと213
20代後半から30代前半の頃、桜の季節になるとなんとなく気分が落ち込んでいたことを覚えています。
その頃私は大学院を修了し、薬理学教室で毎日ネズミを相手に実験を繰り返していました。
桜の頃はフレッシュマンが意気揚々と新生活をスタートする時節です。
その晴れやかな姿とは対照的に、何の進歩も無くまた一年が過ぎたという実感が、気分を落ち込ませていたのだと思います。
30代後半に薬理学教室を辞めて島根県に移るのですが、それ以降は桜の頃には桜を楽しめるようになりました。
そして島根から新宮に移って18年目の今年の桜も楽しんでいます。
新宮に移った当初は色々と新しいことも多く、毎日変化を感じて生活していました。
今はどうかというと「淡淡」と生活しているというのがしっくりくる感じです。
クリニックの診療もつつがなく毎日が過ぎることに満足し、日々の生活も平穏に過ぎることにほっとしています。
ことさらに守りに入っているとは思いませんが、決して攻めてはいないことは確かです。
平坦な時間の流れが心地よいです。
元からですが、人との対応は「短短」を望んでいます。
長々と話すMRは躊躇無く出禁にし、スタッフとのやりとりも最小限度で済ませています。
あまり人と接するのは得意じゃないので一人診察室にいる時間が一番落ち着きます。
コロナに関しても、透析医療という特性から、感染症と第一線で戦っておられる医師の方々とは遠く離れた端と端まさに「端端」のスタンスで対応しています。
しかし、最近は毒性は減じたものの感染力が増したためか、クリニック周辺のコロナ感染が顕著となってきており、これにどのような対応をすべきか、自身の考えに基づいて方針を決めていく胆力を問われている気がします。
短短とは対照的な家内の説教に耳を傾けつつ、こんなことをたんたんと思っている今日このごろの私です。